先代のコラム

五代店主 村田吉茂

染めのきもの 1

 おおざっぱに分けて、きものには染めのきものと織りのきものがありますね。染めのきものは、織った布の上に色や柄を染めたもので、織りのきものは、糸をさきに染め、その糸で色や柄を織りだした布地ということは、皆さんもご存じのことでしょう。

 染めと織りとを比べると、通念的には、染めはやさしいとか柔らかい、しとやかな感じがしますね。織りは、かたいきりっとした感じで、まあ、しとやかという感じではない。けれどもだからといって、染めのほうが、織りよりも女らしいなんてことはありません。どちらもそれぞれの女らしさがあり、かたい織りのきものでも、着る人とマッチすれば、染めのきものにはない別の女らしさが出るもんです。ついでだから言いますが、ご自分で、あたしは染めは似合わないとか、織りは似合わないと思い込んでいるかたがいますね。思い込むというよりも、自分で決め込んてしまっているんですね。これがそもそも危険なので、何事も決め込むことはいけませんね。ことにきものを美しく着ようとするならば、自分のことをいちばんよく知っているのは自分だ、と思い込むことはいけません。ご自分ではわからないご自分のよさもあるし、またその逆の場合もあるわけです。自分では似合わないと思っていても、選び方を変えれば似合うものがあるわけで、絶対に染めが似合わない、織りが似合わないなどということはありませんね。もっと上を勉強しようと思わなければいけないと思いますよ。

別染めは勇気と決断がいる

きものを買うときには、できたものの中から選ぶ場合と、注文で染めたり、織ったりしてもらうという場合とがありますね。今月は染めの話なので、染め物の注文について、初めにお話ししましょう。

注文でも、染め見本どおりというのは、まあ安心です。けれども、柄は気に入ったけれども、見本の色差しを変えて、地色を変えてというのは危険ですね。小さな色見本で決めると、どうしてもでき上がったときにご自分で考えていた色と違うなんていうことがよくあります。それでも、小紋の着尺のようなものはまだ失敗が少ないんですが、別注の訪問着や付下げなんかは、よほど信頼できて、自分のことをよく知っていてくれる店でないと、不安感がつきまといます。ちょっとでも不安感があるときはおよしになったほうがいいですよ。私はよく言うんですが、勇気と決断がないかたは別注はおやめなさい、でき上がったものの中からお選びなさい、と。

小売り店でもデパートでも、注文を受けてから職人の手に渡るまでに、問屋や何人もの手を経て染め屋に渡るわけですから、注文が正しく通らないことが多い。それに、職人に直接詳しく指示したり監督できる呉服屋が、近ごろは少なくなりました。

呉服屋は、家を建てることについては何でも知っていて、職人に指示ができ、なおかつお客さんの好みも生活状態もよく承知している、建築の総監督のような人でなければいけないんです。製品の仕入れはもちろん、製作工程まで主人の目が届く、お菓子屋でいえば、小豆の選び方からでき上りまで主人の目が通っていて、いつ行っても安心して買える店ですね。ただし、そういう店は大量生産ができない。きものも同じわけで、たとえば一越ちりめんのような白生地でも、いいものと悪いものがあり、素人のかたにはそれがわからないどうしても呉服屋任せになるわけで、呉服屋は、その信頼にこたえられるような品ぞろえをしておかなければいけないわけです。こういう店でないと、別注しても満足する結果が得られない、不安だったら、染め上がったものの中からお選びになることですね。

江戸小紋の味

染めの種類には、技法でざっと分けると、友禅、型染め(この中には中型、小中型、江戸小紋、紅型などがあります)、ろうけち(正しくはろう染めと言ったほうがいいでしょう)、液描き、ゴムのり染め、さらさ、しぼりなんかがあげられます。

この技法の、簡単な程度でいいからわかっていただけないと、話が進められませんから、ざっとご説明しましょう。

まず、友禅ですが、友禅はもち米とぬかを混ぜて作った防染のりを柄のまわりに細く置き、その中に染料を差し、その上をのりで防染します。次に地色を染め、蒸して色止めし、水もと(水洗い)するというのが、ざっとの工程です。本友禅は手描きでのりを置きますが、型紙でのりを置く友禅を型友禅といいます。型友禅の型紙の数は、だいたい色数だけいるわけです。

何事も、昔に比べると技術が分業化され、一人の職人が始めから終わりまで手がけるということがなくなりました。友禅も下絵を描く人、のりを置く人、染める人、と何人もの人が一反の友禅を手がけるわけで、のりだけ、染料だけを調合して売り歩く人もいるくらいです。こうなると流れ作業的で、いいもの、つまり入心度の高いものはできにくくなるもんです。おおぜいの人の手にかかるほど一貫した個性が乏しくなり、心に迫るものができ上がらないことが多い、一部分だけのかかわりあいだと、作る職人が、「自分がこれを手がけた」という気迫がこもらないんです。友禅染めは美しくはなやかには見えるけれども、心を打つ作品が少ないのは、こういうところにあるんですね。ろう染めなんかは、だいたい一人で描いて一人で染めますから、個性的な作品が多いんです。そのうえ、友禅などには、不必要な手を加えたものも多いですね。

先月号のかすりの例でお話ししましたように、余計な手間をかけたものをよしとする風潮のせいか、染めの技法だけで充分美しいきものに、さらに、これでもかこれでもかとばかりに、金銀の箔を置いたり、刺繍をしたりする傾向があります。技巧を凝らしたほうが、高い値段で売れますからね。こういう余計な技巧に惑わされないことがたいせつだと思うんです。単純なものでも清楚なよさがあるんで、多色でなくても一色でも、たとえば江戸小紋のように気品があって、格調の高いものもあるんですから。
江戸小紋が出たついでに、型染めの話に移りましょう。型染めは柄を切り抜いた型紙を布地に置いて、のりで防染して染めるというのがその手法です。柄の大きさによって、中型、小中型、極小の切彫り型なんかがあります。小紋でも、多色で染めたもの、色差ししたものなんかがありますが、小紋といえば、なんといっても江戸小紋ですね。いい型をいい職人が染めたものは、それは味があるもんです。食べ物でないのに味という表現は、言ってみれば、なんともいえずいい、芸感があるとでもいうんでしょうか、こんな微妙な表現は日本語だけにしかないんじゃないんですかー。いい江戸小紋は手仕事でなければ出ないいい味があるもんです。四寸(約十二センチ)の型紙を一ミリの狂いもなく送りながらのりを置いてゆくという高度な技術が必要で、亡くなった小宮康助っていう人は、この江戸小紋の型置きの技術で無形文化財に指定された職人です。こういう名人の染めた鮫小紋なんかは、じっと見ていると染めた人の心が迫ってくるような美しさがあるんですね。このごろは鮫小紋も機械で相当精巧に染められるようになり、わたしなんか玄人でも、ちょっと見は見まちがえるほどのものもありますが、よく見てみると鮫がきちんとそろいすぎていてむらがなくつまらない、味がないんです。そこへいくと、手仕事のものは、きちんと染まっているけれども、自然にできた染めの濃淡やかすれなんかがあって、それが実にいい味なんですね。部屋に飾る絵の真物と精巧にできた写真版の複製との違いでしょう。真物と複製とは、遠目は同じように見えても、そばでよく見ると違いますね。

江戸小紋のように単純な柄で、単色で染めたものほど、職人によってでき上りが違います。職人一人一人によって置くのりのかたさから違うんですから、染め上がったものも当然違いますね。お仕着せののりを加減もしないで使うなんていうのはだめなんで、型や布地、その日の天候に合わせて加減する、いってみりゃそういうことが入心度で入心度の高い仕事でないといい作品にならないわけです。そこへいくと、機械染めには入心度はありませんね。手間も心の入れ方も、かける日数も違えばおのずから値段も違うわけで、手仕事が高くなるのはあたりまえですね。それに手染めと機械染めでは、使う染料が違うことが多いんです。同じ色のように見えるけれど、よく見ると、やっぱり味が違うということになります。

いい型紙には躍動感がある

江戸小紋は、いくらいい職人が染めても、型紙がよくないといいものになりません。いい型紙は絵がいいのはあたりまえですが、彫りがよくないとだめなんです。同じ絵でも、腕のいい彫り師が彫った型は躍動感があって、いい味があります。今も残っている昔の型紙がなぜいいかっていいますと、昔は下絵を画家がかいたもんです。その下絵を腕のいい彫り師が忠実に彫ったから、なんともいえないいい味の型になったわけで、今は下絵を画家ではなく図案家がかくため、筆致がないんですね。そのうえ、力のある彫り師がいなくなったので、今できの型紙はあまりよくないというわけなんです。型紙は、昔は刃を前に押して彫っていたのですが、今は手前に引いて彫っています。前に押すほうが力がいるわけで、その力を入れるところに躍動感が出たんでしょうね。今は動きのないかちんとした型紙になってしまいました。今、残っている型紙がだめになったら、二度と同じものが染められなくなってしまうものもあるわけで、残念なことです。

さて、現代の女性はその江戸小紋の中でどんな型を選ぶかということになります。江戸小紋だから、古典柄なら何でもいいかというと、そうではないんですね。古いものでも現代感覚に合わないものはだめですね。今の女性は、行動的ですから、静かで動きのないものは似合いませんね。飛んだり、流れたりという動きがないと似合いません。鮫小紋は、きっちりつめた柄ですが、方眼紙のようにきちんとつまったものではありません。よく見るとあの細かい点の群れに動きがある、そこで現代の女性にも似合うわけです。

江戸小紋については、また来月も、お話を進めましょう。