先代のコラム
- 留袖「遠山」袋帯「木立」村田吉茂創案 昭和36年
いい買い物をするために
まず、いいお客になる
そろそろ秋もたけなわとなり、秋のきものをお求めになるかた、早めに春着の注文をなさるかたなどがいらっしゃるでしょう。
今月はよりいいきものをお求めいただくための買い物のマナーとでもいうんでしょうか、そんなことを話してみたいと思います。
まず、いい買い物をなさるのには、いいお客になることです。いいお客、それは、相手の立場になってものを考えられるかた、と申し上げたいですね。物を買うときにも売る立場になって考えられることのできるかた、そういうかたは、相手の売る立場の者から好感を持たれ、結局はいいお得な買い物ができるのです。もちろんこれは売る立場の者にもいえることで、要するにどちらも思いやりを持って対するということです。
たとえば、ご注文で染めた紋付の羽織を、でき上がってから気に入らないなどとおっしゃるかたがあります。手がけたものとしてどこがどうお気に召さないかと伺ってみると「なんとなく」とおっしゃる。わたしのほうはたいそうよくできたと思っているのに、どこをどうと指摘なさらず「なんとなく気に入らないからいらない」などとおっしゃられると、作ったものにとって、作品は子も同然、はっきりした理由もないのにいらないとは、とまことに腹だたしい思いがします。ほかのものならいざしらず、家紋入りのものでは、ほかのお客さまにお願いするということもできません。こういう、手がけた者の苦労も思いやらずわがままをおっしゃるかたは、業者から警戒心を持たれて、二度とその店から好感を持たれなくなります。そして、不思議にこういうかたは何回も同じようなことをくり返して、他の店へ行ってもまた、同じことをくり返すことが多いのです。
同じものは二つとできない
きものは、でき上がっているものの中からお選びになるのは、それほどむずかしいことではありませんが、見本であつらえたり、創作してもらうときは、それなりの勇気と覚悟を持ってなさることです。
皆さんは見本で注文なさると、見本そっくりのものができるものとお考えのようですが、きものは手工業のものですから、機械で大量生産をするプリント生地などと違い、作る人、素材、染料の種類、分量、そして天候などの諸条件によって、うり二つのように同じものは絶対にできないのです。いくらでも同じものの作れる西洋のお皿と、二度と同じものが焼けない“楽”の茶わんの違いです。
それでは注文の品をどう見たらいいのかといいますと、見本と違っても、それ自体の美しさがあればいいのです。極端に色が違うというのはもちろんいけませんが見本よりもちょっと薄い濃い、微妙な違いがある程度でしたら、それなりのでき上がりで美しさや迫力を評価していただきたいのです。そうすると、その薄い濃い、ちょっとした色の違いの中に、見本とはまた違った美しさを発見なさると思います。その美しさがわからないかたは別あつらえなさる資格はありません。いたずらに見本の再現ばかり気になさると、それ自体の美しさが少しもない、ただのまねをしたきものになってしまいます。
その美しさもわからずにむげに「気にいらない」とおっしゃるのでは、業者はこわくなって、次からは二の足を踏んでしまいます。少々気に入らないところがあっても気持ちよく「よくできた」とおっしゃるくらいの器量があると、業者は喜んで次のいい仕事をするものです。これが思いやりというもので、この思いやりは必ずそのかたのもとへ返ってくるものなのです。
真の王様になる
思いやりを持つということは業者も同じこと、と申しましたが、どうも相手の、つまりお客さまの立場を考えてきものを扱う業者が昔に比べると少なくなったように思えます。どうしたらお客さまにいいきものを着ていただけるかを考えるよりも、ただ利益を追求するだけの商人になっている業者が多いのです。「消費者は王様」などとうまいことを言って、おだてて物を売るだけ、これはなにも呉服業だけではありません。何の商売についても言えることです。
一方お客さまも、王様とおだてられ、甘い言葉に乗せられて商品を買わされ、王様なのだから何をしても、何を言っても通ると錯覚をしてしまうのです。
わたしは「消費者は王様」という言葉はまことに名言だと思っていますが、解釈のしかたが皆さんとちょっと違います。いやしくも王様といわれる人はりっぱな人格者だと思うのです。りっぱな人格者とは教養も思いやりもあるかたですから、お買い物をなさるかたはみな王様になっていただきたいのです。ところが一般の解釈は、王様だからどんな無理を言ってもわがままを言ってもご無理ごもっともとなります。しかし、業者やメーカーはご無理ごもっともと言いながら、その実、消費者のわからないところでよくないことをする、それが現実ではないでしょうかー。
わたしは皆さんに、ほんとうの意味の王様になって買い物をしていただきたいのです。
すなおな気持ちを持つ
すなおな気持ちになるということも、いい買い物をなさる条件の一つです。心にまっすぐな鏡を持てば、ものがまっすぐに映りますが、ゆがんだ鏡を持っていると、ものもゆがんで映ってしまいます。
ご自分はきもののことがよくわかる、という自己過信のかた、人の言うことを疑うかた、すなおに聞かないかた、こういうかたは、せっかく美しいきものを選ぶためにアドバイスしてさしあげても、それをお聞きにならない。このようなかたはおおむね、すなおな心で作者がつくり上げた美がわからない、つまりせっかくいいものがあっても心に映らないのです。
わたしはきものをお見立てするときには、そのお客さまを自分の恋人と思うのです。どんなきものを着せたら美しくなるだろうか、どうしたらこのかたといっしょに歩きたいと思えるだろうか、と真剣に考えるのです。その時第一に考えることは、外見の美醜ではなくて、そのかたの心です。そして次に個性、環境を考えます。そのような時そのかたがすなおな性格のかたですと、美人でなくとも、体型に難があっても、よくお似合いになるきものをお見立てすることができ、そのかたなりの美しさのあるきもの姿にしてさしあげることができるのです。
それが、いくらアドバイスしても、口をすっぱくしてお話しても、人の言うことを信用しないで何時間でも迷うかた、人の言うことを曲解するかたには、いくら考えてもいいきものが思い浮かばないのです。
だいたい迷うのはご自分に美の教養がないからで、それをご自分でも認めて、ご自分より美の教養の高い人に任せるというすなおな気持ちをお持ちになるといいのに、概してそういうかたは心が狭く、人を信用せず、迷いに迷って、店の誰彼を問わず、それこそ経験の浅い若い店員にまで聞いていらっしゃる。これではアドバイスするほうもいやになりますね。適当なことを言って真剣にお相手をしなくなってしまいます。
まあ、あまり迷われるかたには、一度お帰りいただいて、頭を冷やすように申し上げますがー。
人の言うことを曲解するかたというと、だいぶ昔のことを思い出します。私は江戸っ子で口が悪いため、ある奥様に「あなたはもう少しきたないきものをお召しになったほうがいい」と言ってしまったことがあるのです。すると「どうせ私はきたないからきたないものしか似合わないんでしょう」と立腹されてしまい、困ったことがありました。たまたま「きたない」という表現をつかいましたが、これは「はですぎるきものだから、もっと静かなじみなきものをお召しになったほうがいい」という意味だったのです。わたしは心にもない美辞麗句でお客さまに接することはしません。むしろさきほどのように単刀直入、歯に衣を着せないでほんとうのことを申し上げ、それでわかっていただいて今まで仕事をしてきたのです。ですからお客さまにも、誤解をなさらずに言うことをすなおに聞いていただきたいと思うのです。
慇懃無礼と、無礼そうに見えてもその実、ほんとうは親切、その違いをわかっていただきたいと思います。
自分のイメージを持つ
女のかたはその時の気分でふっと衝動的に買い物なさる傾向が強いようですが、何をどう買っても経済的に響かないというかた以外は、衝動買いは慎みたいですね。衝動的に買ったものでいつまでも飽きないなどという品物はめったにありません。特にきものはそうじゃないでしょうかー。
なにか一枚きものがほしいと思ったときは、それはどんなものでいつどこへ着て行き、予算はいくらという、ご自分なりのイメージを頭に描くことです。そのイメージをしっかり刻み込んでから、そのイメージに合ったものをさがすのです。わたしの存じ上げているある奥様は、買い物のときに前々から克明にメモしておいた手帳を持っておいでになり、実にてきぱきと短い時間に合理的な買い物をなさいます。けっして迷ったり衝動買いをなさいませんね。
さがしてもご自分のイメージに合ったものがなかったらいさぎよくあきらめます。しかたがないからと安易に妥協しないことです。妥協して買ったものは後悔して飽きがきます。わたしはその点徹底していて、自分でこうと決めたものは何年かかってもさがします。今愛用しているオーバーは三年かかってさがし求めた生地です。それを見つけるまでの三年間は古いオーバーでがまんしていました。そのかわり、そのような思いで手に入れたものはたいせつに何年でも着続けます。
きものも同じです。けっしてまにあわせや、行きあたりばったりで選んでいただきたくないですね。ご自分がしっかりしたイメージをお持ちのかたには、業者も協力してそのイメージどおりのものをいつかさがし出してくれるものです。ない物をそろえていく、そこに楽しみがあるのです。
しかし、ときには思いがけずいい物にぶつかる場合があります。今、さしあたって必要ではないけれど、とにかくすばらしい、こんな時、事情が許すのでしたら買っておくことをおすすめします。どんな品物も同じですが、いい物が再び現れるということはめったにないものですから。ただし、いい物という判断を人に言われたり、すすめられたりするのでなく、ご自分が判断なさるということがたいせつです。