先代のコラム
- 訪問着「花」村田吉茂創案 昭和30年代
きものの話あれこれ(最終回)
これからのきもの
きものは絵と同じ
早いもので、わたしがきものの話をいろいろとお話ししはじめてから、もう一年がたちました。そこで今月は、この一年間お話ししてきました総まとめのような話にしたいと思います。いつも申し上げていますが、わたしは、日本のきものほど美しく、経済的な国服はないと思っています。この美しいきものをなくしてしまいたくない、ただそれだけを思って、五十数年間、きもの一筋に打ち込んできました。それは、前にもお話ししましたが、一生をきもののために尽くすことで、若いころ家の事情で兵役免除を受けた時、兵役に代わる国家へのご奉公としようと決意したことにもよりますが、何よりも、わたし自身がきものを愛したということによるのでしょう。
きものは、日本人であれば、どなたにも似合います。きものの似合わない日本人などという人はありません。もし私には絶対に似合わないというかたがいらしたら、そのかたは似合うきものに出会わなかったということなのです。ですから、わたしは皆様にきものを着ていただきたいと思っているのです。といっても、昔のようにふだん着も働き着もすべてきもので、というのではありません。働いたり、仕事をしたりのときは、洋服の機能性にかないっこないのですから…。でも、昔の女性はたすき一本で今の洋服にまさるとも劣らない働きぶりをしたものですが、それを今のかたたちに要求するのは無理というものでしょう。わたしが着ていただきたいと思っているきものは、ふだん着や働き着以外のもの、ちょっとした外出着以上のものです。特にいろいろな会合や、改まった席などへは、ぜひともきものを着ていただきたい。どんな豪華な洋服や宝石にも負けない美しさが、きものにはあります。
さて、それでは、きものなら何でも洋服に匹敵するか、というと、そうではありません。おびただしいきものの中から、洋服にまさるとも劣らない美しいきものを選んで着ていただきたいために、この一年間、あれこれについてお話をしてきたのだと思いますが…。
先月号でわたしは、戦後きものに対する考え方が変わったので、お求めになる皆様も、扱う業者も、きびしい審美眼というものを持たなければならない、というようなことをお話ししました。それを具体的にお話しすると、これからの高級呉服(高級ということは、高価だということではありません、感覚、質ともに高いものという意味です)は、一種の芸術品、たとえば絵画を買うような気持ちでお求めになっていただくようになると思うのです。扱う業者は、画商のような立場になるわけで、したがって、呉服を単なる商品としてでなく、絵画や芸術品と同じように一品一品きびしい目で選び、責任を持たなければいけません。お求めになるかたも、床の間の置き物や絵と同じように心して選ばなければなりません。安物の金ピカの絵や布袋さまを部屋に置けば、その家の主人の教養が疑われるように、きものも安物を身につけると、中身の人の教養が疑われます。若いうちはご愛嬌で大目に見てもらえることも、ある程度の年代になると、人の目はきびしくなってくるものです。
ある程度の年齢になられて趣味、教養が高くなられたご主人がたが美術品や骨董品に興味をお持ちになるのと同じように、奥さまがたも、高度なきもの選びをなさっていただきたいのです。
呉服を絵画の美術品と考えれば、お求めになるかたは、より高度なものをより慎重にとお選びになると思います。今は多少高価でぜいたくに思えても、将来を考えると、やはりいいものを選ぶという考え方になると思うのですが…。お求めのときはぜいたくに思えても、教養の水準が上がればあたりまえになってしまうものです。
画商である業者も、更にいいものを見分ける勉強をし、将来を見通す目を持たなければなりません。いい画商が若手の才能のある画家を育てるように、業者は、若い作家や技術者を育成していかなければいけません。作家や技術者を育てて、すぐれた作品を作れば、教養のある高度なお客さまの目にとまり、買っていただける、買っていただけば更に高度な作品を生む素地になります。こうして、売るほうも、作るほうも、 買うほうも、よりすぐれたものを、より美しいものを、と高めていけば、きものはすたれることなく、いつまでも日本のきものとして残っていくことができると思うのです。
自然から学ぶ心を忘れずに
いいきものを選んでいただくためには、まず美を把握していただかなくてはいけない、審美眼を持っていただかなくてはいけない、と毎回お話しを進めてきましたが…
なんといっても、美は具体的に説明できません。それで毎回いろいろな角度から、いろいろな事例を引いて、お話しをしてきたわけなのですが、今月は最後ですので、きものの場合の美の見方とでもいいましょうか、見る目安を少々お話ししてみましょう。
きものの場合の美の基準の、具体的に説明できるものとしては、一に色、二に図案、三に構図、四に素材、五に組織(織り味)が考えられます。この五点が総合されて、初めて美しいといえるのです。名品と呼ばれている、古代裂、よろい、小袖等の美術品は、すべてこの五点が総合されたものです。しかし一般には、色、図案がよければまあ美しいということになっていますが、実は、素材からくる味が色や図案に強く影響している場合が多いのです。たとえば、色も図案もいいのだけれど、なんとなく味がなく、うすっぺらな感じがする、などということは、素材や組織が色や図案に合っていないわけです。どんな色や図案にどんな素材、などということは、とうてい説明できるものではありませんから、いつも申し上げていますように、古今の名品といわれている染織品をできるだけたくさん見て、ご自分で学びとっていただくよりしかたがありませんね。
そして、この五点の総合されたものに、更に加えられなければならないもの、それは具体的に説明することのできない作者の心、つまり入心度です。これも、いつもお話ししていましたように、具体的には、言葉で表わせませんね。あなた自身が、あらゆる芸術品から学びとり、感じとっていただかねばならないものです。
学びとるといえば、きものの美の第一の基準になる色は天然自然がお手本ということは、前にもお話ししたとおりです。一輪の花、一本の木を身近に置いていると、自然の持つ邪念のない美しさ、安らぎが感じられて、更に自然のものへ、美しいものへ、と本能的に心が動かされていくものなのです。謙虚に自然から学ぶ心、日常生活の中に、ほんの少しでも天然自然の美を取り入れて、楽しみ、学ぶ心を忘れないでいただきたいと思うのです。
きものの着付けも努力しだい
いくら審美眼を持っていいきものを選んでも、自分できものを美しく着られないというのでは意味がありませんね。美しいきもの姿になりたいとお思いでしたら、どなたもご自分できものが着られるようになっていただきたい。
近ごろは、四十代にはいってご自分のお嬢さんたちにきものを着せるようになると、あわててきものの着付け教室などへ通って、着付けを勉強なさるかたが多いと聞きます。まあ何事もご自分で勉強なさろうという意欲は買いますが、あくまでも着方の技術の基本の体得ということにとどめておかれたほうがいいと思うのですが…。基本を学んだら、ご自分のきものが着られるように練習をなさることですね。
色彩や感覚についての講義、たとえば、何色には何色の帯が似合う、似合わない、などという美に関する講義などは、なまじっかおききになると、ほんとうの美を学びとろうとしているかたには、かえって迷いのもとになることもあります。そういうことを勉強したいのでしたら、毎度言っていますように、自然を見つめたり、古今の名品を見て学べばいいのです。
わたしに言わせていただけば、何事も努力しだい、きものの着付けも、努力をすれば自分で上手に着られるようになるものです。一日に一度ずつ着付けを練習してごらんなさい。一月もすればりっぱに自分のきものが着られるようになると思うのです。
一年間、あれこれと勝手なことを言ってお気にさわったかたもおいでかもしれませんが、すべて、皆さまにきものを美しく着ていただきたい、日本のきものをいつまでもたいせつにしていきたい、と思ってお話ししてきたことばかりです。
最後に、きものにかぎらず、身にまとうすべてのものは、まとっている衣類を見せているのではなく、着ている中身の人間を見せているのだということを、もう一度思い出していただきたい。
そして、その中身である皆さまがたは、美の習得や教養を高めることによって、あなたの人間性をつくり上げていくのだということも、忘れないでいただきたいと思うのです。