コラム

きものの話あれこれ(最終回) 村田吉茂
1971年(昭和46年)12月「ミセス」掲載

No.12 これからのきもの
きものは絵と同じ

 早いもので、わたしがきものの話をいろいろとお話ししはじめてから、もう一年がたちました。そこで今月は、この一年間お話ししてきました総まとめのような話にしたいと思います。いつも申し上げていますが、わたしは、日本のきものほど美しく、経済的な国服はないと思っています。この美しいきものをなくしてしまいたくない、ただそれだけを思って、五十数年間、きもの一筋に打ち込んできました。それは、前にもお話ししましたが、一生をきもののために尽くすことで、若いころ家の事情で兵役免除を受けた時、兵役に代わる国家へのご奉公としようと決意したことにもよりますが、何よりも、わたし自身がきものを愛したということによるのでしょう。

 きものは、日本人であれば、どなたにも似合います。きものの似合わない日本人などという人はありません。もし私には絶対に似合わないというかたがいらしたら、そのかたは似合うきものに出会わなかったということなのです。ですから、わたしは皆様にきものを着ていただきたいと思っているのです。といっても、昔のようにふだん着も働き着もすべてきもので、というのではありません。働いたり、仕事をしたりのときは、洋服の機能性にかないっこないのですから…。でも、昔の女性はたすき一本で今の洋服にまさるとも劣らない働きぶりをしたものですが、それを今のかたたちに要求するのは無理というものでしょう。わたしが着ていただきたいと思っているきものは、ふだん着や働き着以外のもの、ちょっとした外出着以上のものです。特にいろいろな会合や、改まった席などへは、ぜひともきものを着ていただきたい。どんな豪華な洋服や宝石にも負けない美しさが、きものにはあります。

 さて、それでは、きものなら何でも洋服に匹敵するか、というと、そうではありません。おびただしいきものの中から、洋服にまさるとも劣らない美しいきものを選んで着ていただきたいために、この一年間、あれこれについてお話をしてきたのだと思いますが…。

 先月号でわたしは、戦後きものに対する考え方が変わったので、お求めになる皆様も、扱う業者も、きびしい審美眼というものを持たなければならない、というようなことをお話ししました。それを具体的にお話しすると、これからの高級呉服(高級ということは、高価だということではありません、感覚、質ともに高いものという意味です)は、一種の芸術品、たとえば絵画を買うような気持ちでお求めになっていただくようになると思うのです。扱う業者は、画商のような立場になるわけで、したがって、呉服を単なる商品としてでなく、絵画や芸術品と同じように一品一品きびしい目で選び、責任を持たなければいけません。お求めになるかたも、床の間の置き物や絵と同じように心して選ばなければなりません。安物の金ピカの絵や布袋さまを部屋に置けば、その家の主人の教養が疑われるように、きものも安物を身につけると、中身の人の教養が疑われます。若いうちはご愛嬌で大目に見てもらえることも、ある程度の年代になると、人の目はきびしくなってくるものです。

 ある程度の年齢になられて趣味、教養が高くなられたご主人がたが美術品や骨董品に興味をお持ちになるのと同じように、奥さまがたも、高度なきもの選びをなさっていただきたいのです。

 呉服を絵画の美術品と考えれば、お求めになるかたは、より高度なものをより慎重にとお選びになると思います。今は多少高価でぜいたくに思えても、将来を考えると、やはりいいものを選ぶという考え方になると思うのですが…。お求めのときはぜいたくに思えても、教養の水準が上がればあたりまえになってしまうものです。

 画商である業者も、更にいいものを見分ける勉強をし、将来を見通す目を持たなければなりません。いい画商が若手の才能のある画家を育てるように、業者は、若い作家や技術者を育成していかなければいけません。作家や技術者を育てて、すぐれた作品を作れば、教養のある高度なお客さまの目にとまり、買っていただける、買っていただけば更に高度な作品を生む素地になります。こうして、売るほうも、作るほうも、 買うほうも、よりすぐれたものを、より美しいものを、と高めていけば、きものはすたれることなく、いつまでも日本のきものとして残っていくことができると思うのです。

訪問着「花」 村田吉茂創案 昭和30年代

訪問着「花」
村田吉茂創案
昭和30年代