コラム

きものの話あれこれ 村田吉茂
1971年(昭和46年)11月「ミセス」掲載

No.11 いいきものを売るために
高いものほど美しい、のではない

 先月号では皆さんにいいお買い物をしていただくための話をしましたが、今月は、業者にほんとうの商いをしてもらうための、売るほうの心構えとでもいいましょうか、そんな話を中心に進めていこうと思います。

 少々堅い大きな話から始めますが、現在の日本で最も大きい問題になっている、いろいろな公害問題、これは、基幹産業の大企業や、都市だけの問題でなく、わたしども呉服を扱う業者も深く考えなければいけない事柄だと思います。

 公害というと、人間の命や自然破壊だけのことのように考えられがちですが、命や自然に関係のない、服飾や呉服の業界も、大きな意味での公害に類することをしているのではないかと思うのです。少し大げさかもしれませんが、似合おうが似合うまいが、お客さまに物を売りつけたり、法外な値段で物を売るなどは、お客さまにご損をかけるという点で公害と考えていいと思います。

 前にも申しましたが、近ごろは見識のある目で制作したり、仕入れた品物本位と誠意で商売をする店よりも、豪華な店構えやきらびやかなふんいき、おせじまじりの弁舌で商売をする店のほうが多くなってしまい、お客さまは、ほんとうにいい、似合う品物を手に入れるお得な買い物よりも、店構えやふんいきに惑わされて、似合わないものを買ってしまうという、ご損な買い物をなさることがふえてしまったようです。

 豪華ではでな店構えの店の中には、値段もそれに合わせるかのように豪華なものが多いようですね。もちろん、感覚、技術、そして入心度から見て、値段のつけようもないほど高度な作品というものもたまにはあります。ところが、最近は世の中が万事はでに豊かになったせいでしょうか、店によっては百万円単位のきものがずらりと並ぶなどということも少なくありません。中にはすべての点から見て妥当な値段と思えるものもありますが、多くはいらざる手間をかけすぎて高価になったといえましょう。

 百万円のきものは二十万円のきものに比べて五倍の美がある、というのならば、百万円で買ってもけっして高くはありません。たとえばダイヤのように、高価なものほど美しいというのならばいいのですが…。

 ダイヤは、百万円と二十万円では、カラット、色、光りぐあい、きずのあるなしなど、科学的にその違いが証明でき、その違いが、美しさの差になりますね。ダイヤは高価なものほど美しいとはっきりいえます。きものはどうでしょうか、高いものと安いものとは、素材や技術、手間のかけ方の違いは具体的にわかっても、美の違いは、具体的にわかりません。ところが多くのかたは、高いものは安いものよりも美しいと頭から決めてかかっていらっしゃる。錯覚なさる。手間をうんとかけたり、技巧を凝らしたものを美しいものと思ってしまうわけです。確かに手間がかかって高価そうには見えますが、それは美しいこととは違います。

 そんな錯覚をうまく利用して、業者は百万も、何百万ものきものを作り、売っているということもあるのです。売るほうとしては、二十万のものを五枚売るよりも、百万のものを一枚売ったほうが手間がかからず、利も多いというわけです。五回おじぎをして細く商売をするよりも、一回のおじぎで大きく商売をしたほうがいい、という考えなのでしょう。そして、こういう店は、ほんとうに美のわかるかたよりも、美がわからなくても、多額の商品をお買い上げになるかたのほうが、いいお客さまということになります。

 わたしは、経済観念のない人は非文化人だと思っています。物にはすべて適正な値段というものがあるのです。あり余るお金をどう使ったらいいかわからないかたは別ですが、そうでない普通のかたでしたら、きものや帯を値段で判断するということのないように、物を見る目、美を理解する目を養うように心がけていただきたいと思います。

訪問着「松]

訪問着「松」
村田吉茂創案 昭和34年頃