コラム

きものの話あれこれ 村田吉茂
1971年(昭和46年)8月「ミセス」掲載

No.8 毎日の暮らしすべてが美の勉強
あちこちで買わない

 売らんかなの店が多くなると、お客さまも迷います。そこで今度はお買いになるお客さまの話になりますが…。

 前にもお話ししましたが、それぞれのお宅で昔はまんじゅうはどこ、ようかんは どこと、出入り、またはいつも買う店が決まっていたものです。きものも同じで、必ず出入りの呉服屋、行きつけの店があったものです。そういう店では、そのお宅の家族構成、一人一人の年齢、好み、寸法、そしてどんなきものを持っているかまでよく把握していたものです。ですから、きものや帯を新調してもけっしてむだがない、持っているものとちゃんと調和するものがそろいました。

 ところが今日では、そういう習慣がなくなり、行きあたりばったりできものや帯を買う方が多くなりました。昔に比べて、呉服屋もショーウィンドーに重きを置いて、人目をひく飾りつけをするようになりましたから、町を歩いていて一目見てほしくなるようなことがずいぶんあると思います。また「この間買ったきものにこの帯なら絶対に合う」とばかりに衝動買いをなさった経験がどなたにもおありでしょう。けれども、そうやって買ったものは、今までお持ちになっていたものとぴったり合いましたか、いつ見ても飽きないものでしょうかー。わたしには、うまく成功なさった場合はそんなにないのではないかと思われるのですが…。大部分のかたは、手持ちのものと合わせてみると合わなかったり、二、三回身につけているうちに飽きてきたり、という経験があるのではないかと思います。

 きものはその店おのおのの個性が売り物の商品です。今は、昔に比べてその店独自に創作したものよりもメーカーや問屋の作ったものを仕入れるほうが多くなったとはいえ、商品を仕入れる目は、その店独自のもの、つまり個性です。店の個性とお客さまの好み、個性が一致していいきもの姿となり、商品も生きるわけです。もっとも、近ごろは個性のない、どこにでも売っているものを並べている専門店も少なくありませんが…。

 その個性とは…関西風、関東風、下町風、山の手風、色づかい、柄ゆきなどといろいろあげられますが、そういう末梢的、具体的なことよりもまず、芸術感覚のレベルの相違ということのほうが大切なのです。その個性を無視して、Aの店のきものにBの店の帯、Cの店の羽織を合わせたのでは、美しい調和のとれたきもの姿にならないと思います。その芸術感覚のレベルとはどういうことで、具体的にどう違うかとおっしゃられてもむずかしいですね。今までお話ししてきたいろいろなことから、ご自分で感じ取っていただくよりしかたがないことだと思います。

 ためしに、今まであちこちでばらばらに買っていたものを、お手持ちのものと合わせてごらんになるとよくおわかりになると思います。色や柄は合っていても、なんとなくお互いにしっくりしない。そのなんとなくが芸術感覚のレベルの違いなのです。この違いは、単にきものや帯などの着るものだけにあてはまるのではなく、帯締めや袋物、草履などの小物にいたるまであてはまることがあります。そして一度レベルの高いものをお持ちになると、ほかのものではどうしても不満に思えてくるのです。

 言葉では、とても説明できない芸術感覚は、実際に実物を見てわかっていただくよりしかたがありませんね。