コラム

きものの話あれこれ 村田吉茂
1971年(昭和46年)5月「ミセス」掲載

No.5 きものを女らしく着るために
昔の女の気持ちできものを着る

 肩の凝らない話のついでに、もう一つくだけた話をしましょう。ただし、表現は肩の凝らない話ですが、言っていることはとてもたいせつなことなので、ぜひともわかっていただきたいのです。

 それは“女らしい”ということなのです。

 皆さんは“女らしい”ということはどういうことだとお思いですか…。わたしは、それは男性と違う物腰だと思います。

 さて、その男性と違う物腰ですが…。

 失礼ながら、近ごろの皆さんは下着、つまり、パンティを身につけておいででしょう。昔の女の人は、ご存じのように、そういう下着はつけていませんでした。たいせつな所が、もしかしたらあらわになってしまうかもしれない、だから、立ってもすわっても、歩いていても、あらわにならないように、何をするにも、そこに神経を集中して動いていたわけで、自然、歩くのも内股で小股に歩き、立ち居ふるまいは控えめでしとやかになります。つまり、おのずから女らしくなっていたのです。

 それが、今日のように完全に隠してしまうと、安心感が出てしまう。隠してしまえば大事な所ではありません。あらわになる心配がないとすれば、動作も自然大きく、荒っぽくなります。しとやかさが欠け、女らしくなくなってしまいます。

 だからといって、今日きものをお召しになるかたに、昔の女の人のように下着をつけないでいなさいというのは無理な話ですね。わたしがお願いしたいのは、せめてきものをお召しになったときは、隠そう、隠そうとする、はじらいとでもいう気持ちを持って、立ち居ふるまい、物腰をしていただきたいのです。こういう気持ちを持ってきものを召していただけば、歩くときもあまり大股にならないでしょうし、手を伸ばすときにはそっと袖口を押えるというふるまいが自然に身についてきて、美しいきもの姿になることと思います。そして、それがしとやかで女らしいということになるのです。

 近ごろでは、きものを着ているだけで、だいぶ女らしく見えるような世の中になりましたが、ほんとうに女らしくなければ、きものは似合いません。女らしく見せかけるのではなく、内面からにじみ出る女らしさできものをお召しになっていただきたいものですね。

 女性は男性に、かわいらしいな、女らしいなと思われなければしあわせではありません。それはなにも、男性に対して卑下していることではありません。生き物すべてに両性があって互いにひかれ合うという自然の法則は人間とて同じことで、男性に女らしいと思われない女性、女性に男らしいと思われない男性なんて、どちらも寂しいじゃありませんかー。

 男性に、つまりあなただったらご主人に、いつもかわいらしい、女らしいと思われるような女性の営む家庭は、いつも家庭円満だと思います。