コラム

きものの話あれこれ 村田吉茂
1971年(昭和46年)4月「ミセス」掲載

No.4 きものを美しく着るために
きものは容姿でなく風格で着るもの

 自分に何が似合うかわからない、自分の個性がつかめないかた、こういうかたは勉強なさることです。

 感覚的研究の欠けている呉服屋やデパートで、「何か私に似合うものを見てちょうだい」などという安易な気持ちを持ってはいけません。

 勉強の方法は、いつもお話ししているように、まず自然から美を学び、つとめてすぐれた絵画や美術工芸品などの美しいものを見て、ご自分の目を養うこと、次に自分を冷静に見つめて、自分のあり方を知ること、そして、お手本になるような他の人のきもの姿をよく見ること。

 さきほど、美しいきもの姿のかたが少なくなったと申しましたが、それでも、お芝居やお茶会などに行くと、美しいきもの姿のかたを見かけることがあります。美しいということは容姿が美しいとか、きものがすばらしいということではありません。いかにもそのかたにふさわしいきものを着ていて、内容がにじみ出ているかたとでも言いましょうか。そういうかたたちの中から、年齢、容姿、生活程度がご自分と同じようなかたを選んでよく観察なさることです。観察といっても「あの帯高そうね、いくらぐらいかしら」などという物の価値判断や「あの色にこの色が合う」などという理屈で見るのではなく、まず中身の人間をごらんになることです。容姿のほかに、教養、性格、家庭環境、話し方、動作などすべてをひっくるめたそのかたの人となり、風格とでもいうんでしょうか、それをしっかり見て、感じとっていただきたい。その風格を感じとったうえで、身につけているもの、きものをごらんになると、そのかたがご自分をどう認識しているかがよくわかり、どうして着ているものが似合ってるのか、美しいきもの姿というのはどういうことなのかがおわかりになると思うのです。これでご自分を知る手がかりができたはずです。

 すべて“物”は背景によって生きも死にもします。デコラのテーブルの上に志野の茶わんを置いても似合いませんし、茶わんはもとより、テーブルも生きません。きものも茶わんと同じ“物”です。この物を生かすには“背景”すなわち人間をよく知ることです。しかし、背景といっても人間は生きているのですから、外見だけでは判断はできません。中身、内容が問題なのです。

 きものは究極には内容、つまり風格に合わせて着るものなのです。自分の似合うものを選ぶには、自分の風格をつかむことですね。それには他の人を見ることによって、自分を知る手がかりが得られるわけです。