コラム

きものの話あれこれ 村田吉茂
1971年(昭和46年)4月「ミセス」掲載

No.4 きものを美しく着るために
流行を見きわめる目をもつ

 もともと紋付きの羽織は、紋付きのきものを着るべきときに、簡略化して着る略装として用いられるものです。わたしの記憶では、戦前には学校行事に今ほど黒の紋付きが目につかなかったような気がします。

 学校の式は、お子さんたちの一生のうちの晴れの儀式ですから、式場に参列なさるお母さんがたの服装も、それにふさわしい儀礼をふまえたものになさるのは当然なのですが、皆さんが皆同じ黒の流行を追わなくてもいいのではないかと思います。なにも羽織にこだわらずに、さきほどもお話しした、紋付き、縫い紋のきものや、付下げや軽い訪問着などをお召しになってもいいんじゃないでしょうか。学校に訪問着なんて華美すぎるとおっしゃるかたもありますが、そこは模様と色しだい、お召しになるかたの教養で選べば、けっしてこれ見よがしのきものにはなりません。

 控えめにと思うかたでしたら、やはり紋付きの羽織になりますが、黒に限ることはないと思われます。ご自分に似合う色の中で、儀礼にふさわしい品のいい美しい色を選んで紋付きになさればいいでしょう。

 さらに進んで考えれば、大儀礼ではないのですから無地にこだわることもありません。はではでしい絵羽模様でなければ、軽い付下げ風に柄を置いたものなどでもいいわけです。したがって紋にそれほどこだわることはないと思いますが、付けておけば他の儀礼に利用できるという考え方もあるでしょう。

 私はけっして流行を否定はいたしませんが、流行を見きわめる能力をみな皆さんに持っていただきたいと思うのです。誰が見ても美しく、しゃれていて、「私も着てみたいな」とおおぜいの人が自然に同調する流行と、大きなメーカーや産地の打ち出す商業主義でつくり出された流行、同じ流行でもこの二つが考えられると思うのです。前者の場合は、同調なさるかたの美しいと感じた意志があって選ぶのですが、後者の場合は、流行だから、人が着ているから着てみようというだけで、それを選んだ自分の意志がありません。

 わたしの経験から言いますと、自分にどんな風格のものが似合うか、がわかっているかたは、けっして流行を追いません。流行と、自分に似合うものとは違うという考えを、しっかり持っていられます。

 こういうかたは、少々古いものでも、しっかりご自分のものにして着こなしてしまい、それがちっとも時代遅れには見えません。これが知性ある個性というものでしょう。