コラム

きものの話あれこれ 村田吉茂
1971年(昭和46年)3月「ミセス」掲載

No.3 染めのきもの 2
江戸小紋は大名の柄

 今日でこそ江戸小紋は、どなたでも自由に好きなものを選んで着られるようになっていますが、江戸小紋ができた江戸時代には、柄によっては、庶民は身につけることが許されていないものもありました。というのは、その指定の柄は、各大名が登城する時の裃(かみしも)の柄から出たもので、大名の第一礼装用の柄です。当時の大名にしてみれば、自分の領内にはこんなすぐれた仕事をする工人がいるという、一種の自負、誇りから、“極(ごく)”と呼ぶ錐彫り型で染めた、もうこれ以上細かくできない細かい柄を裃につけたわけです。ここで私のいう江戸小紋は、この極のものが主体になりますが、たとえば“堀田の鮫”などという大名の名前がついた柄もあります。つまり、自分の領内でできたいちばん優秀なものは自分だけが使うというわけです。

 じゃ、なぜ一柄一色の江戸小紋が大名たちに好まれたかというと、いかにも武士らしく、男らしい、きりっとした柄で、しかも、りっぱな風格を持っている、ということでしょうか。したがって、どの染めよりも美しく感じたからではないかと思います。大名は当時の知識階級、洗練された文化人ともいえる人たちです。その証拠に今日、焼き物や漆器などの美術工芸品は、城下町に発達し、または大名の庇護を受けたものが残り伝えられていますね。その文化人の審美眼が選んだ美しい染色品であることが、江戸小紋の名声を今日まで伝えたゆえんでしょう。

 現在、江戸小紋は、大名や武士が身につけたものだから格調のある柄だといわれていますが。偉い大名が選んだからいいんじゃなくて、美を見る目、芸術を理解する目があった人たちが選んだものだから美しい、と考えるのがほんとうじゃないでしょうかー。

 明治になって、大名の止め柄だった小紋は、もと武家の奥さんだった人なんかから着始められるようになり、庶民も着るようになったわけです。武家の奥さんたちも教養ある文化人といえましょう。庶民にも着られるようになったといっても、若い人でも誰でも着たというわけではありません。小紋の美がわかる年齢になって、つまり、きものを着尽くして、きものに対する教養の高い、ある程度の年配になって着るようになったようです。もちろん、単色の柄はじみだということもあったでしょうけれども。

 それが今日人気が出たのは、先月号でお話したとおり、私の傘下の小宮康助の江戸小紋の型置き技術が無形文化財に指定されたことと、戦後のきものが無地から出発し、無地好みの人がふえ、そういう人たちが一見無地風に見える小紋を好んだことが原因だとも思います。


昭和初期の店舗・木挽町

昭和初期の店舗
木挽町